休日ひとやすみ日記

モノづくりや食べること、日常のあれこれ備忘録

2月11日(日)の日記

今日は朝一オープンから髪にパーマを当てに美容院を予約した。

 

 

 

ドアを開けるとカウンターに今日の美容院の出勤メンバーであろう6人ぐらいが総出で向かい入れてくれた。

 

 

視覚的な感覚だけでいうと、圧迫感があり少しひよる。もちろんきっちり並んで「いらっしゃいませ!」感よりはそれぞれ6人が何かをカウンター内でしていたといった感じだった。

 

 

が、やはり男性6名カウンター内はむさくるしくないかい?圧迫感すごないか?と心の中でほくそ笑み名前をスタッフさんに伝える。

 

 

いつも行っている行きつけの美容院は誰が切っても皆さんクオリティが安定している為、あえて指名をせずどなたでもスタイルで行く。

 

 

席を案内されいつも言われる「もしよければNetflixとか映画、なんでも見れるんで良かったら観てくださいね」を言われ「はい」と答える。

 

 

 

いつも美容院にきて思う事がある。それは

お客さんが観れる環境を配備しているのに観れない環境をつくっているという矛盾だ。

 

 

 

ドライヤーのブウォンブウォンとした音、話が弾むお客さんと美容師さんの声、店内BGM、ハサミや機材の音。

 

 

 

どうにもこうにも観れる環境じゃないのよ。と毎度髪を切ってもらうとき、なぜか無音の映像だけ流れる画面だけみつめて思っている。

 

 

 

音や周りを気にしない人なら音量をあげてみたいチャンネルや映画を選んでみるだろう。

けれどね、わたし、そこまでの行程が恥ずかしいのですよ。

 

 

 

観たいものを選ぶ時、全てモニターは美容師さんに見られていて、自分の趣味思考というか、なんかすっごいプライベート覗かれてる感じがして凄く恥ずかしくなる。

 

 

 

「あ、意外とこういうの好きなんだ」「お、それ俺も好きなやつだ」とか思われるのが恥ずかしいというかこそばゆい感覚がある。

 

 

 

わたし自身めちゃくちゃ気難しい人ではないと思うが、どうもあの空間で自分の好きなものを観るとなると、変な消耗や、せっかくのとっておきシーンを

 

 

 

普段では感情や表情を家で垂れ流せていたのが、それをポーカーフェイスで見なければいけない、自由なる感情表現ができなくなるなんて耐えられないのだ。

 

 

 

家だから、誰もいないから「あー....やばぁ」やら「いい奴過ぎるだろ幸せなれ」だの心の底からぼそっと言えたり、きゃいきゃい言えたりする、それが楽しかったりする。

 

 

 

髪は今回パーマを当て、雰囲気を変えたかった。わたしの髪質上1回目はパーマがかかりにくい事を言われたが、パーマのニュアンスが程よくという感じで、これはこれで良かった。また時間をおいて来月あたりやろうかなと考えた。