最近夜電気ストーブをつけて寝ているからか
朝の寒さがつらくなくいい目覚めができている
朝方になると2人同じ布団を掛け寝ている為、毛布の分量の比率が片寄ってしまい寒くなって起きることがある。
何もない中途覚醒も厄介だけど、寒さで目が覚めるってなんだか勿体無くて損した気分になる。
寒さがなければゆっくり朝まで口を壮大にあけて寝れていたのに、へんに口が乾いたり寒さで温かいの飲みたいなんて気になったり
はたまた今のうちにトイレいこうなんて事が途中起きるとなると、寝れなくなって意識ぼやぼやの眠り損な気分になる。それが嫌だ。
だから大抵起きてトイレに行こうかなって気持ちを無にして我慢して寝る事がある。何の話やねん。
けど、この朝のあたたかな感じや、目覚めの良さがなんか懐かしくなった。いつの時の懐かしさだろう。
布団の中で考えていたら思い出した。
「あ、海に行く時の感覚だ。」
わたしが幼少期の頃、おそらく5.6歳で弟が3歳の時。父がまだ外資系の仕事をしていて羽振りがよい時代、週4で海へ連れて行ってくれた事がある。
父はサーファーで、趣味で友人と波乗りに行ったり、サーファー友達とチームを組んで大会に参加していた事があるようだ。
その為、幼少期は海でほとんど遊んだ記憶があり、早朝4.5時ぐらいに起こされお弁当を車に積み海へ行くという流れがいつもだった。
朝寝起きが悪いわたしは海に行く日をいつも楽しみにしていて、海に行く時だけは朝気持ちよく目覚められた。
お弁当を作る音、荷物を車に積みに開けるドアの音、起こされる前から耳でその準備の音をキャッチし、気持ちがぽかぽかする感覚を持ちながら起きれた記憶がある。
この日は仕事で、特にぽかぽか気持ちがする予定ではないが、昔のあの「海へ行くんだ」って感覚を行かずとも思い出せたことにぽかぽかした。
海へ最後に行ったのはいつだろうか、大人になってから随分と行ってない。海やプールへいく友人どころか、関わる人との関係に距離をとったり
知らず知らず一人でいることの方が気楽だと感じた23歳以降から、そういったイベントには足が遠のいていたなと感じる。
海へ行くのは家族だけで充分だ。
波に乗る父をわたしと弟の相手をしながら見守る母、お菓子やおにぎりを食べ、弟は渡したおにぎりに砂をかけ額を笑いながらペシっとし、わたしはきゃいきゃい笑いながら、弟の頭に砂をかけ、母にお尻を叩かれたりした。
なんともない記憶、ふざけた記憶、どうしようもない記憶ほど大切なんだろうね、31になっても覚えてる。
あと、わたしがどうしても「海の味がする」と記憶している食べ物がある。
それはヤマザキパンから出ている緑のカラーが特徴のジャムマーガリンのコッペパン。
当時88円だったコッペパン、今では50円近く値上がりしてしまい時代の流れを感じる。
コッペパンはよく母がクーラーボックスに入れて海の時食べさせてくれた記憶がある。
お弁当には卵焼きや唐揚げ、定番ラインナップ、菓子パンはランチパックにコッペパン、飲み物はミニ缶のファンタやコーラといった感じにお菓子や色々、20代夫婦で5才3才のお昼にしてはまあまあの量。
まるで運動会。それもそのはず、海は一日中、夕方までいるのが毎度の流れ。しかもこれを週4.5だから驚く。体力もそうだけど稼ぎえぐい。さすが羽振りのいい全盛期。
朝8時には海にいるわけだから、単純に9時間はいる。その間母が海に入るところはあまりなく、私たちの相手をしたりタバコを吸ったりだったなと思い出す。
懐かしい記憶、潮風に混ざったじゃりをぺっぺとはきだしながらコッペパンをパクパク食べ、マーガリンのほのかな塩味に甘酸っぱいつぶつぶしたいちごジャムと、パンの厚みともふもふ感
懐かしい味、朝起きた時の懐かしさ、これは食べるしかないな久々。そう思って通勤中コンビニへ行きコッペパンを買う。
メーカーはヤマザキではないけれど、このぼふっと感、懐かしい...電車の待ち時間のホーム、椅子に座り口いっぱいに頬張る。
「(.......くぁ......懐かしいぃ〜〜......!)」
心の中でじんわりと奥底から唸った。
特別な時間だったなぁと電車を待つホームでまたじんわり感じた。
今もやろうと思えば家族で海は計画すればできるだろうとは思う。けどあの無邪気な気持ちとか純粋に海で遊ぶ事だけに集中して心から楽しめた日は
あの年齢や時代だったから。
今の年齢で実行するとなると
日焼けの心配や明日の仕事、体調の心配、その時や明日の心配ばかりだ。
やれることや可能性を狭めてしまう。
少しみじめな気もするけど、あの時間はあの時代のあの時だから良い思い出で味だったなと思う。