休日ひとやすみ日記

モノづくりや食べること、日常のあれこれ備忘録

2月21日(木)の日記

 

連日の雨続きで体内のありとあらゆるものが停滞したり増えたりを繰り返している気がする。大体雨続きの時は睡魔と倦怠感、酷い時は頭痛がひどくて貴重な休みさえも何も出来ずに寝て過ごすことがある。

 

それは年齢を追うごとに加速していて、数字の変化には興味ないけど、身体の変化や周りの変化にはすごく敏感だからどうしたものかと思う。

 

雨続きのお店は客足が普段の平日の半分もいかないこともしばしばで

売上がいろいろやばい。イベントごとや商品のラインナップは今が一番多く、買い揃えるには絶好の時期なのに、どうも雨によりますます落ち込んでいる。

 

出勤し勤怠を押し、エリアマネージャーから送られてきたであろうお店の動向や集客を促す対策がまとめられた資料に目を通す。そこには

「お店を来店した意味を持たせることができるのかが重要」ということが書いてあった。

 

こんな雨だから、いつものような軽い足取りで買い物や移動だってできやしないし

外へ出る事さえ億劫だもんな、何かいいことや変わったことが起きたらいいなって思う。

 

単純に商品を見ている人に売り文句や普段どうりの接客をし、購入に至っても

いい買い物ができたと購入してもらえても、来店した意味を持たせるってすごく難しいなと文字を読みながら考えていた。

 

案の定客足は少ない、そんなわたしはというと、寒気と眠気、変な火照りが続き「来て早々に微熱がすごくて帰りたい」と商品の服をたたみながら思った。この日は店長が体調不良で二人勤務だった。「早退もできない…。」

 

朝のうちにも気だるさと不調はあった。なら連絡すれば良かったのかというと、わたしの勘が「いや、今日出勤せなあかんやつやぞ」と呟いた。

 

何となく天気の感じから、もしかしたら店長も今日具合悪くて欠勤なるかもな。と、気怠い体を起こして身支度をしながら何とか出勤したらやはり予想は的中した。

 

昔からこういった直感力はある方で、何となくぼや〜っと「今日〇〇だな」と思うとそうなったりすることがたまにある。

 

店長は3月から今の店長役職以外にバイヤーや商品企画などの業務が増えたこともあり、日々険しい面持ちをしていた。

 

今まで以上に抱えきれない程のプロジェクトを担っていくわけだから、疲労が祟っていたのだと思う。近頃欠勤が続いている。

 

けど、人の心配より自分だ、よく休まず出勤したな、自分偉いぞ!!と、床掃除や拭き掃除をし、自分を褒めながら、がらんとした店内の美化に努めた。

 

しばらくして親子のお客さんが来店し「今日店長さんいはる?」と声をかけられた。

パンツ2着を丈つめが出来上がった連絡を聞き来店されたようで、代わりに対応した。

 

仕上がったパンツを試着し丈かんを見てもらうとどうやら右だけ丈が短く長さ出しの調整は可能かと、申し訳ないわ〜としおしおとした顔で言われた。

 

その親子とは顔見知りで、お母さんはわたしと体型でいう骨格ストレートの分類に入り一緒ということもあり、洋服の提案がしやすく服の系統も好みが近いため話しやすく盛り上がったことがあった。

 

「前に他の店で試着した時にもお直し頼んで出来上がったの履いたら、右だけやっぱりサイズが違くて、その時に腰が歪んでるって気づいたんだけど、こないだのお直しの時に言っとけば良かったのにごめんなさいね…!」

 

その時何だか忘れかけていたスイッチが入ってしまって

 

「腰痛とか今もありますか?ちなみに右が短いのは、右の骨盤が後傾していて左が前傾に倒れているから左の方が左右同じ長さ丈を詰めても長くなってしまうんですよ。」

 

「左右さを揃えるに腰の筋肉と内側の筋肉をつなぐ腸腰筋や内転筋群をほぐしながら筋肉を少しづつつけていかなきゃいけなくて…」

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と、施術を受ける前のお客さんへカウンセリングしていた時のあれこれが蘇って来た。そう、5年前、わたしの一番長かった前職はリラクゼーションセラピストだった。

 

一番就きたくない仕事一位だった仕事が最長になっていて、自分の中で一番天職だったから不思議。腰痛の悪化とコロナ禍だったこともあり辞めてしまったけれど、今もこうして感覚がスッと戻るものなんだなと感心した。

 

親子のお二人がすごく目をまん丸にして「うせやん!びっくりやわ〜、まさかすぎて何だか嬉しくなっちゃうわ〜、それでそれで??」と、すごく食い気味に興味津々でこちらも何だか嬉しくなって

 

ストレッチの仕方や、負荷をかけないための対策などを教えてあげたらそれもすごく盛り上がって試してくれた。

 

「今日は何だかお洋服の相談もやけど、まさか身体のことも相談できるおもてへん買ったから何だか来て良かったし嬉しかったわ〜」と言ってくれた。

 

小雨の中手をふり帰っていく後ろ姿を見て「自分で言うのなんだけど、お店に来た意味、感じてもらえたのでは…?!」とハッとなり、こう言うことでも良いのかなと、少し自信が持てた日になれた。

 

2月20日(火)の日記

今日は朝から雨だった。雨の通勤ほどだるいものはない、その中でも

改札口へ上がる階段を傘を持ちながらぶんぶん後ろに振りかざしながら上がる

人をよく見かけるし出くわすが、本当に危ないからやめてもらいたいし、無意識にしてもすごく不快な気持ちになるんだよな…。と思いながら改札に向かうことがある。

 

それは車内でイヤホンから音漏れしている人も同様だ、通勤手段が電車だもの、仕方がない、色々な人がいる。と自分で宥めたりしながらも「電車通勤しなくて済む働き方で上手くいったら乗らなくて済むのにね」と自分で自分に圧をかけたりもする。

 

ほんと、出来ることならそうしたいしそういう働き方にシフトしていきたいなと思う。

 

雨が降るとまた寒さが戻る。ここ数日寒さがマシになったかと思えば、体調がぐらつく天気の到来ですか…。そして花粉の季節というワンツーパンチ、たまんないね、全く望んでない。

 

幸い自分が働くお店までは駅から直結の屋根がある場所だから雨に濡れることがないものの寒くて憂鬱だった。なぜだか突発的に「銭湯へ行きたいな」と頭に浮かぶ。

 

まだ京都へ移り住む実家にいた頃はよく友達や母と妹なんかと、スパへ行ったりしていたなと思い返していた。「雨でもさ屋内だしゆっくり出来るしいいよね」とよく話していた。

 

休日は朝からスパへ入り浸る。バスジェットは気になる部位を集中的に当て、かゆくなるまで続けていたっけ。

 

炭酸泉はいつもおばあちゃん達でいっぱいで、それをジェットバスを受けながら「おばあちゃんのごった煮やん」とか思いながら熱ったおばあちゃん集団を眺め考えていた。



「なんかいい感じのダシが出てそう」と、わたしの視線をなぞって言う妹

隣で笑うわたし。失礼やぞ。とぼそっと呟きながらも、わたしもほくほくしていたおばあ達を見てごった煮を思い出していたから人の事いえない。

 

おばあちゃん達のわいわい生き生きとした感じがわたしは好きだ。それは昔祖母の家に泊まりから帰る時の送り出しの時

「あんたらが帰ると、なんだかあーちゃん寂しくなるよ」と、楽しみがないことをつぶやいていたのを思い出してから、あーちゃんには生き生き楽しそうにしていてほしいな。と思うようになっていたからかもしれないと思った。

 

幼いながら足りない頭の中で「あまり寂しい思いをさせちゃいけないな」と車から手をふり小さくなるあーちゃんを見えなくなるまでしばらく見ていたのが今でも覚えている記憶。今でもこんな些細なことでも大切に保管されているということは

 

本当に大切にしたかった感情なんだなと今でも思う。よく祖母はお出かけをする時なりふり構わずバスの待ち時間や隣に座っている人などに声をかけ話し出すことがあった。

 

「なんで知らない人に沢山話しかけるのさ!恥ずかしいよ!」と、あーちゃんに毎度怒りやめさせようとしたことがあった。それでもやめないあーちゃんがすごく嫌だったし、周りの空気感や人の目を気にしてばかりのわたしには、見ず知らずの他人に話しかける神経がおかしくて仕方がなかった。

 

あーちゃんは嫌がるわたしの手を握って「あーちゃんがおしゃべりしたかったから話したんだよ。」とニコニコしながら答えた。この意味がわかるまでにだいぶと時間がかかった、なぜ見ず知らずの人たちに話しかけたのか。

 

あーちゃんの年齢になれば友人は亡くなっていたり、病気したり、昔みたいに気軽に会うなんて出来なくなるし、会えなくもなるんだ。

 

そんななかで孫と会えて、話ができて、気持ちも弾むわけで、あの炭酸湯に使っていたごった煮のおばあたちのように、今ある時間を共有し笑い合えてリラックス出来ている時間がどれだけかけがえのないキラキラした時間だっただろうか。

 

話し相手が欲しかったんだよね。寂しかったんだよね。

老いが自分の感覚と比べものにならないぐらいのスピードでメンタル面や体調面など、70.80代は揺さぶられながら日々生きていると思うと

 

お風呂を楽しみで来ていたあの和気藹々としたおばあ達をみると安心するし、他人でも「楽しいね、良かったね!」となる。

 

またスパいきたいなぁ。次は銭湯か!

 

 

 

 

 

 

2月18日(日)の日記

今のイラストに対するポテンシャルは2.3年前当時の時とはかけ離れた場所に心があることを改めて痛感した。

 

今のわたしの現状は、絵が描けないのではなく絵を描きたいと思えないのかもしれないというところまで気持ちを解き明かす事が出来た。

 

ここまでたどり着いたのは画伯氏に相談してからだ。「多分今のおねむは自分の気持ちを具現化して自分を知るために日記を描いていて、そこに自分が言葉では伝えにくかったり伝えたい事を絵で補足として描いたりしてるのが最近なわけでさ、絵を描くことだけに基軸をおけてないわけだ」

 

険しい面持ちで不安なわたしの横で言葉を選びながら続けた

 

「絵が描けないって思うんだったらそれでいいと思うし何を描けばいいかわからないならすべき選択から外すべきだよ、日記や4コマで絵をかけて表現出来ているなら、そのジャンルの道に進んでまずは動くべきだよ。考えたりする暇ないよ」と一喝された。

 

そのあとしばらく黙ってしまい自分の気持ちの靄を必死にかき分けて考えこんでいた。

 

わたしはずっと絵が描けないことに罪悪感や情けなさを感じ苦しかった。描きたいものもわからず、自分の為か誰の為かもわからず曖昧なのも辛かった。

 

描けない事でイラストレーターである自分を失いたくないと思った。それは唯一得意で仕事にも出来た好きな事だったから、スランプが凄く苦痛で絵を描けないことでおこる"事実を受け入れたくなかったのだと思う。

 

それは絵を描かないという選択、一度は心が病み、少し描くことから離れ、気持ちが復活した時に活動を再開しようと思っていた。それもそんな甘くはないと言うことを痛感したし認めたくなかった。

 

今のスタイルはどちらかというとまさに画伯氏が言ったように、自分の気持ちを具現化したり、自分の為に絵を描いている。

 

移ろう日々のこと、自分の感情をありのまま書き、そこに絵を描き表現する事で自分が自分でいて良いような、文を基軸とした絵を描く事が今の自分には合っているというのも気づけた。

 

イラストレーターとして絵を描くとなると、自分の為だけとはいかないのだ。仕事にしていくならまさにこの自分軸の範囲を広すぎず狭すぎずというバランスが重要になってくる。

 

けれど、今のわたしにはそんな器用な真似は出来ないなと思うしイラストレーターとしての変なプライドを捨てよう。

 

イラストレーターは辞めない、けど今わたしは文で自分の感情を表現する事が好きだし、絵もその時を思い出しながら描いたり自分の為に描いていきながら文と絵が活きる活動をしていきたいと、気持ちがかたまった日だった。

 

何をしていくか、何がしたいか悩んでいたけれど、まずはエッセイの公募をだしたり日記本を作りたいなと思う。そこで自分の絵が活きるよう描けたらいいかなと今は思うようにしている。

 

動こう。進まなきゃ。

 

2月12日(月)の日記

お店で勤務時いつも思う事がある。

それはパートナーの試着時の対応力だ。

 


ここで大体性格や人間性が出てくるとわたしは思っている。

 


この日見たお客さんはカップルで社員さんが対応していた。彼女が着替える間、試着室の前でこのまま告るのか?

 


それとも花嫁のウエディングドレスを見る為に待ってる旦那さんみたいな雰囲気で手を下で下ろしきゅっと握って待っていた。

 


なんとも初々しい。けど、彼自身もどんな感じが気になるのだろうなと微笑ましくかった。

 


しかし世の中人口の数だけ男も女も人間性もちがう。皆がみんな試着中の待つスタンスは違うのだ。

 


奥さんが試着中旦那さんは座って携帯を見ている。着替えが終わる奥さんを座りながらどちらが良かったかを返答する、これが一番スタンダードな比較的多いやつ。

 


別パターンだと、奥さんが試着している時に出入り口にいるパターン。もうこれはわたし個人的にぶん殴りたいやつだったりする。

 


お店に入りにくいなど色々な事情はあるけどもだ、出入り口待ちはアカンだろ。何より「興味なし、早くしてほしい、関係ない」の3コンボが目に見えてわかるのも腹立たしい。

 


まず、よく結婚出来たなとか偉そうに申し上げたくなってしまうよまったく。

 


あと、試着室ではないけど洋服を見ている時鏡に当てて見ているパートナーの背後を追ってずっとベガ立ちをしている旦那さんにも物申したい。

 


ちなみにベガ立ちとはストリートファイターに出てくるベガという腕組みして真っ直ぐ立つキャラクターで、よくゲームセンターでプレイ待ちしている人や観戦者がこの立ち方でそう呼ばれており、この立ち方をする者は皆ベガ立ちなのだ。

 

 

 

あれやられている側、すっごく気まずいしなんならあまり見れていないような気がする。見立ててくれて何かを言うとかじゃないから更に困るだろうなと思ってしまう。

 


案の定店内を一周迂回して帰られてしまった。たまたまタイプのものがなかったか検討したくてだったかもしれない。けど、やはりあの圧じゃ見たいものも見れやしないだろうなと洋服をたたみながら後ろ姿を見送った。

 


わたしは自分の洋服を見ている時相手にも自分自身の時間を意識して使ってほしくて「わたししばらくみたいから画伯氏もなんか見てきなよ」と言う。でないとフェアでないし自分が落ち着かないから。

 


何が言いたいかというと、試着している間に、何かしらか自分の時間を見つけてつくるなりをしてほしいということ。特にベガ立ちして圧かけてくる人にはそう思う。

 


わたしは同僚の社員さんに投げかけた「無口で何するでもなく腕組みしながら洋服見てる奥さんをただ立って見てるだけってどういった心境なんですかね」と

 


すると社員さんは

「おそらくだけど、財布のひもが旦那さんなんだろうなと思う。使えるお金なんかは旦那さんが管理しているからじゃないかな」とのこと

 


「あー、、なるほど、その考え方もありましたか、、、けど、、、なんか嫌ですね。笑」

 


と苦笑しながら脳内で腕組みされて待たれているのを想像して少しイライラした。

 


だから昔から買い物は断然一人派。

画伯氏がいる時はバラバラで散って見るか、見終わって帰ってきたら「見るのなかったら座って待ってて」と、おおよその時間を伝えて店内を見に回る。

 


互いに時間は過ぎて行く中でどちらかが損得ないように考えたうえでの上記の流れがうちの買い物見周りのスタンダードである。

 


夫婦で買い物って色々面倒ごと多いけど、普段一人じゃ買えない重い物があると凄く助かるし、買い物時に何か不満があっても「お荷物ありがとうございます.....!!」となる。笑

 

2月11日(日)の日記

今日は朝一オープンから髪にパーマを当てに美容院を予約した。

 

 

 

ドアを開けるとカウンターに今日の美容院の出勤メンバーであろう6人ぐらいが総出で向かい入れてくれた。

 

 

視覚的な感覚だけでいうと、圧迫感があり少しひよる。もちろんきっちり並んで「いらっしゃいませ!」感よりはそれぞれ6人が何かをカウンター内でしていたといった感じだった。

 

 

が、やはり男性6名カウンター内はむさくるしくないかい?圧迫感すごないか?と心の中でほくそ笑み名前をスタッフさんに伝える。

 

 

いつも行っている行きつけの美容院は誰が切っても皆さんクオリティが安定している為、あえて指名をせずどなたでもスタイルで行く。

 

 

席を案内されいつも言われる「もしよければNetflixとか映画、なんでも見れるんで良かったら観てくださいね」を言われ「はい」と答える。

 

 

 

いつも美容院にきて思う事がある。それは

お客さんが観れる環境を配備しているのに観れない環境をつくっているという矛盾だ。

 

 

 

ドライヤーのブウォンブウォンとした音、話が弾むお客さんと美容師さんの声、店内BGM、ハサミや機材の音。

 

 

 

どうにもこうにも観れる環境じゃないのよ。と毎度髪を切ってもらうとき、なぜか無音の映像だけ流れる画面だけみつめて思っている。

 

 

 

音や周りを気にしない人なら音量をあげてみたいチャンネルや映画を選んでみるだろう。

けれどね、わたし、そこまでの行程が恥ずかしいのですよ。

 

 

 

観たいものを選ぶ時、全てモニターは美容師さんに見られていて、自分の趣味思考というか、なんかすっごいプライベート覗かれてる感じがして凄く恥ずかしくなる。

 

 

 

「あ、意外とこういうの好きなんだ」「お、それ俺も好きなやつだ」とか思われるのが恥ずかしいというかこそばゆい感覚がある。

 

 

 

わたし自身めちゃくちゃ気難しい人ではないと思うが、どうもあの空間で自分の好きなものを観るとなると、変な消耗や、せっかくのとっておきシーンを

 

 

 

普段では感情や表情を家で垂れ流せていたのが、それをポーカーフェイスで見なければいけない、自由なる感情表現ができなくなるなんて耐えられないのだ。

 

 

 

家だから、誰もいないから「あー....やばぁ」やら「いい奴過ぎるだろ幸せなれ」だの心の底からぼそっと言えたり、きゃいきゃい言えたりする、それが楽しかったりする。

 

 

 

髪は今回パーマを当て、雰囲気を変えたかった。わたしの髪質上1回目はパーマがかかりにくい事を言われたが、パーマのニュアンスが程よくという感じで、これはこれで良かった。また時間をおいて来月あたりやろうかなと考えた。

2月9日(金)の日記

最近夜電気ストーブをつけて寝ているからか

朝の寒さがつらくなくいい目覚めができている

 


朝方になると2人同じ布団を掛け寝ている為、毛布の分量の比率が片寄ってしまい寒くなって起きることがある。

 


何もない中途覚醒も厄介だけど、寒さで目が覚めるってなんだか勿体無くて損した気分になる。

 


寒さがなければゆっくり朝まで口を壮大にあけて寝れていたのに、へんに口が乾いたり寒さで温かいの飲みたいなんて気になったり

 


はたまた今のうちにトイレいこうなんて事が途中起きるとなると、寝れなくなって意識ぼやぼやの眠り損な気分になる。それが嫌だ。

 


だから大抵起きてトイレに行こうかなって気持ちを無にして我慢して寝る事がある。何の話やねん。

 


けど、この朝のあたたかな感じや、目覚めの良さがなんか懐かしくなった。いつの時の懐かしさだろう。

 


布団の中で考えていたら思い出した。

 


「あ、海に行く時の感覚だ。」

 


わたしが幼少期の頃、おそらく5.6歳で弟が3歳の時。父がまだ外資系の仕事をしていて羽振りがよい時代、週4で海へ連れて行ってくれた事がある。

 


父はサーファーで、趣味で友人と波乗りに行ったり、サーファー友達とチームを組んで大会に参加していた事があるようだ。

 


その為、幼少期は海でほとんど遊んだ記憶があり、早朝4.5時ぐらいに起こされお弁当を車に積み海へ行くという流れがいつもだった。

 


朝寝起きが悪いわたしは海に行く日をいつも楽しみにしていて、海に行く時だけは朝気持ちよく目覚められた。

 


お弁当を作る音、荷物を車に積みに開けるドアの音、起こされる前から耳でその準備の音をキャッチし、気持ちがぽかぽかする感覚を持ちながら起きれた記憶がある。

 


この日は仕事で、特にぽかぽか気持ちがする予定ではないが、昔のあの「海へ行くんだ」って感覚を行かずとも思い出せたことにぽかぽかした。

 


海へ最後に行ったのはいつだろうか、大人になってから随分と行ってない。海やプールへいく友人どころか、関わる人との関係に距離をとったり

 


知らず知らず一人でいることの方が気楽だと感じた23歳以降から、そういったイベントには足が遠のいていたなと感じる。

 


海へ行くのは家族だけで充分だ。

波に乗る父をわたしと弟の相手をしながら見守る母、お菓子やおにぎりを食べ、弟は渡したおにぎりに砂をかけ額を笑いながらペシっとし、わたしはきゃいきゃい笑いながら、弟の頭に砂をかけ、母にお尻を叩かれたりした。

 


なんともない記憶、ふざけた記憶、どうしようもない記憶ほど大切なんだろうね、31になっても覚えてる。

 


あと、わたしがどうしても「海の味がする」と記憶している食べ物がある。

 


それはヤマザキパンから出ている緑のカラーが特徴のジャムマーガリンのコッペパン

 


当時88円だったコッペパン、今では50円近く値上がりしてしまい時代の流れを感じる。

 


コッペパンはよく母がクーラーボックスに入れて海の時食べさせてくれた記憶がある。

 


お弁当には卵焼きや唐揚げ、定番ラインナップ、菓子パンはランチパックにコッペパン、飲み物はミニ缶のファンタやコーラといった感じにお菓子や色々、20代夫婦で5才3才のお昼にしてはまあまあの量。

 


まるで運動会。それもそのはず、海は一日中、夕方までいるのが毎度の流れ。しかもこれを週4.5だから驚く。体力もそうだけど稼ぎえぐい。さすが羽振りのいい全盛期。

 


朝8時には海にいるわけだから、単純に9時間はいる。その間母が海に入るところはあまりなく、私たちの相手をしたりタバコを吸ったりだったなと思い出す。

 


懐かしい記憶、潮風に混ざったじゃりをぺっぺとはきだしながらコッペパンをパクパク食べ、マーガリンのほのかな塩味に甘酸っぱいつぶつぶしたいちごジャムと、パンの厚みともふもふ感

 


懐かしい味、朝起きた時の懐かしさ、これは食べるしかないな久々。そう思って通勤中コンビニへ行きコッペパンを買う。

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メーカーはヤマザキではないけれど、このぼふっと感、懐かしい...電車の待ち時間のホーム、椅子に座り口いっぱいに頬張る。

 


「(.......くぁ......懐かしいぃ〜〜......!)」

心の中でじんわりと奥底から唸った。

 


特別な時間だったなぁと電車を待つホームでまたじんわり感じた。

 


今もやろうと思えば家族で海は計画すればできるだろうとは思う。けどあの無邪気な気持ちとか純粋に海で遊ぶ事だけに集中して心から楽しめた日は

 


あの年齢や時代だったから。

今の年齢で実行するとなると

日焼けの心配や明日の仕事、体調の心配、その時や明日の心配ばかりだ。

 


やれることや可能性を狭めてしまう。

少しみじめな気もするけど、あの時間はあの時代のあの時だから良い思い出で味だったなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月7日の日記

 

あいだが空き過ぎてしまった日記、その間はSNSデトックスをしていたり、はたまたWi-Fiの線が断線してしまい、がちもんのデトックスをするはめになったりと、めまぐるしい2週間であった。

 

そんなこんなでもう2月を迎えていて、あっという間に恵方も終わり、時間が過ぎていった。むしろ恵方すら食べていない始末。

 

そして、派遣就業から9ヶ月目を迎えるわたしの周りにも色々な変化が起きていた。

 

店長のキャリアステージが変わること。

わたしにはなんら関係のないことだけれど、つい3日ほど前、店長の顧客さんと話していた時きいてしまったのだ。

 

「これからうちのブランドの商品企画やバイヤーの仕事が3月から始まって増えていくんですよ」

 

わたしの2つ上になる店長、年齢もさほど変わらない、顧客さんと話す中で、企画に携わる事をメインでは考えていないことや、お店で販売員として働きたいこと、さまざまなな葛藤をお客さんと話していた。

 

いつも気丈に振る舞っていた店長でも、体調面を心配していたり、慣れ親しんだ地を離れ一大プロジェクトに関わる事へのプレッシャーなど

 

信頼しているお客さんに相談しながら話しているのをきいて、なんだか凄く自分の働き方や年齢を改めて考えさせられた。

 

「店長いなくなる時間増えたらお店回せるん?」とお客さんが言うと「今新卒のアルバイトの子がこれから二人社員になるんで、人手はなんとか大丈夫なんですよ」と答えた。

 

そうか、わたし派遣だし、元々人員が不足しているから来てるわけで、もう少ししたら人手不足解消なるじゃん。と、なんだかひとりポツンと切り離されるような感覚があり寂しくなった。

 

元々派遣元からも「なかなか社員やアルバイトも募集をしていてもなかなか割り振られず少ないみたいで、是非お力添えしていただけたら、こちらの店舗に勤務頂きたくて」と話をされていた。

 

まもなく、わたしもこの場所で働ける時間が限られてきてしまうというわけだ。

 

それに加え、新しい職は正直心配とかはむしろなく、それ以上に心配なのは、自分が派遣をしながら、自分自身がしたい活動をどう再開していこうかということ。

 

どうも最近、やる気が湧かない、無気力なのだ。

考えてしまえばしまうほど深みにハマっていくような気がして、身動きがとれないでいる。今の時代、一つの仕事を続けていくことの大変さ以上にまともに一本で働いていても

 

最近だと、某大手運送会社の3万人一斉解雇といったこともありえる時代になってきている。大手に限らずとも、今後さらに不況が続くなかで派遣ぎりやパートぎり、ぎりぎりなラインで生活や働くなんてことがやってくる。

 

……自分で派遣ギリだのギリギリのラインだのと言葉を打つたびに脳内でなぜかKATーTUNのRealFaceが流れてくる。今まで話した内容の中で談じてKATーTUNが出てくる要素もなければ大真面目な話をしていたはずなのに、わたしのどうしようもない脳みそはそうはいられなかったらしい。

 

歌詞の「ギリギリでいつも生きていたいから」というのがどうやら脳内で引っかかったらしい。お気楽なのか何なのか自分でも自分がわからないこういうとき。

 

話を戻すと、今の生活基準の派遣の仕事も間も無く区切りがつくタイミングということもあり、派遣以外の自分が本来したい活動や働き方、今年一年どういった活動をしていくかなども無気力ながらでも考えて行かねばなと思った。

 

周りの変化に華々しく嬉しく思う反面、自分の立ち位置や頑張り方にイマイチだったりもっとこうできたのではないかなんて考えてウジウジしている暇はない。

 

わたしはどうしたい、何がしたい、どうなりたい?

叶えられることには時間も労力もいる、けど今わかっていることは

クリエイティブであり、常に書いたり作ったり、作家であること

自分が心穏やかでいられる場所の輪を自分で広げて活躍していきたいなと思う。

 

発達凹凸だろうとマイノリティでも、自分でいられる場所をこれから見つけて広げてやる。これは野望。曲げられない気持ち。