休日ひとやすみ日記

モノづくりや食べること、日常のあれこれ備忘録

2月20日(火)の日記

今日は朝から雨だった。雨の通勤ほどだるいものはない、その中でも

改札口へ上がる階段を傘を持ちながらぶんぶん後ろに振りかざしながら上がる

人をよく見かけるし出くわすが、本当に危ないからやめてもらいたいし、無意識にしてもすごく不快な気持ちになるんだよな…。と思いながら改札に向かうことがある。

 

それは車内でイヤホンから音漏れしている人も同様だ、通勤手段が電車だもの、仕方がない、色々な人がいる。と自分で宥めたりしながらも「電車通勤しなくて済む働き方で上手くいったら乗らなくて済むのにね」と自分で自分に圧をかけたりもする。

 

ほんと、出来ることならそうしたいしそういう働き方にシフトしていきたいなと思う。

 

雨が降るとまた寒さが戻る。ここ数日寒さがマシになったかと思えば、体調がぐらつく天気の到来ですか…。そして花粉の季節というワンツーパンチ、たまんないね、全く望んでない。

 

幸い自分が働くお店までは駅から直結の屋根がある場所だから雨に濡れることがないものの寒くて憂鬱だった。なぜだか突発的に「銭湯へ行きたいな」と頭に浮かぶ。

 

まだ京都へ移り住む実家にいた頃はよく友達や母と妹なんかと、スパへ行ったりしていたなと思い返していた。「雨でもさ屋内だしゆっくり出来るしいいよね」とよく話していた。

 

休日は朝からスパへ入り浸る。バスジェットは気になる部位を集中的に当て、かゆくなるまで続けていたっけ。

 

炭酸泉はいつもおばあちゃん達でいっぱいで、それをジェットバスを受けながら「おばあちゃんのごった煮やん」とか思いながら熱ったおばあちゃん集団を眺め考えていた。



「なんかいい感じのダシが出てそう」と、わたしの視線をなぞって言う妹

隣で笑うわたし。失礼やぞ。とぼそっと呟きながらも、わたしもほくほくしていたおばあ達を見てごった煮を思い出していたから人の事いえない。

 

おばあちゃん達のわいわい生き生きとした感じがわたしは好きだ。それは昔祖母の家に泊まりから帰る時の送り出しの時

「あんたらが帰ると、なんだかあーちゃん寂しくなるよ」と、楽しみがないことをつぶやいていたのを思い出してから、あーちゃんには生き生き楽しそうにしていてほしいな。と思うようになっていたからかもしれないと思った。

 

幼いながら足りない頭の中で「あまり寂しい思いをさせちゃいけないな」と車から手をふり小さくなるあーちゃんを見えなくなるまでしばらく見ていたのが今でも覚えている記憶。今でもこんな些細なことでも大切に保管されているということは

 

本当に大切にしたかった感情なんだなと今でも思う。よく祖母はお出かけをする時なりふり構わずバスの待ち時間や隣に座っている人などに声をかけ話し出すことがあった。

 

「なんで知らない人に沢山話しかけるのさ!恥ずかしいよ!」と、あーちゃんに毎度怒りやめさせようとしたことがあった。それでもやめないあーちゃんがすごく嫌だったし、周りの空気感や人の目を気にしてばかりのわたしには、見ず知らずの他人に話しかける神経がおかしくて仕方がなかった。

 

あーちゃんは嫌がるわたしの手を握って「あーちゃんがおしゃべりしたかったから話したんだよ。」とニコニコしながら答えた。この意味がわかるまでにだいぶと時間がかかった、なぜ見ず知らずの人たちに話しかけたのか。

 

あーちゃんの年齢になれば友人は亡くなっていたり、病気したり、昔みたいに気軽に会うなんて出来なくなるし、会えなくもなるんだ。

 

そんななかで孫と会えて、話ができて、気持ちも弾むわけで、あの炭酸湯に使っていたごった煮のおばあたちのように、今ある時間を共有し笑い合えてリラックス出来ている時間がどれだけかけがえのないキラキラした時間だっただろうか。

 

話し相手が欲しかったんだよね。寂しかったんだよね。

老いが自分の感覚と比べものにならないぐらいのスピードでメンタル面や体調面など、70.80代は揺さぶられながら日々生きていると思うと

 

お風呂を楽しみで来ていたあの和気藹々としたおばあ達をみると安心するし、他人でも「楽しいね、良かったね!」となる。

 

またスパいきたいなぁ。次は銭湯か!