休日ひとやすみ日記

モノづくりや食べること、日常のあれこれ備忘録

時間の経過を感じた帰省

11月9日、3日間連休をもらい実家に帰省した。


1ヶ月前から母の副鼻腔炎がひどく、更に最近は味が全て一緒?な感覚があり、血液検査やコロナ検査をしたよう。


母の容態含め、最近自分もハンドメイドや仕事に追われ、神経が過敏で張り詰めていたから、この機に身体を休めながら母に会いに行こうと思った。


それと別に、2ヶ月前、LINEのビデオ通話で母と話した時に


「ずっと特性や仕事の事で悩み病んでいて辛かった。黙って死のうとしていた」事を父と母にカメラ越しで伝えた事があった。

 


父も母もなんともいえない顔をして「どうして死にたかったの?」と「なんで....?いつからなの?」

 


眉間にシワを深くいれて、凄く悲しい思いをさせてしまった。

 


ただでさえ離れているのに、辛い思いをさせてしまったと思ったけど、今までこうやって「辛い」と言葉にした事がなかったから

 


その悲痛な気持ちを解って欲しかった。

「娘が死にたいなんて思いながら毎日生きてるなんてさ、打ち明けるのも勿論辛いだろうけど、もっと辛いのは何も知らず、そのまま最悪な状況になった時の家族皆なんだよ、だからちゃんと話すべきだと思う、絶対」

 


夫の画伯氏にそう言われ意を決して思いを伝えてからの久々の帰省だから、ずっと初めの一言を何を言おうか新幹線の中で考えていた。

 


実際は、普段通りだった。変わらず、楽しかった。手料理のジャガイモのグラタン、柄がはげた色物の箸、まだらな食器。

 


家を離れ暮らしたら、綺麗でおしゃれな食器でご飯を食べるんだ!と思っていた6年前。

 


今でも変わらず使い続けている箸やお皿を見て泣きそうになった。あぁ、帰ってきたんだって。

 


けど変わっていないようで、しっかり家を出てから現状は色々と変わっている。

 


父と母も、妹も弟も、ずいぶん考えや見た目も大人になったし、背中や線が細くなっていた。

 


時間は、しっかり経過しているんだ。そう思った。変わらない日常なんてワンシーンの切り抜きだけでしっかりちゃんと過ぎているんだ。

 


何気ない日常にいつしか忙しなく流されていたし、見ようとしていたものがわからなくなったり、見落とす事も増えてきたなと思った。

 


歩く母の脚の細さ、手の甲のしわ、父の目の下のたるみ、父のものごしの丸さ、すべて、時間を経て変化している。

 


その経過の中で、わたしは死にたいと、特性や生きていくくとへの辛さ、諦めを口にし話した事。

 


残酷な事を告げてしまったけど、父と母は「辛くても、何とか楽しい事増やさなきゃだめだよ」「おねむが死んだらお父さんも死ぬかもわからない、そんな辛い事、考えないでほしい」


そう言ってくれたこと。今ならちゃんと飲み込んで解る。


一番の親不孝者になろうとした事、深く反省しながら、またお家に笑顔で帰れるように

 

限られた家族との時間も、自分がしなければいけない事も少しずつ進めていこう。