5連勤中3勤が終わった。電車の中もお正月ムードは減り、お仕事モードの方が多かった。
相変わらず観光客の海外勢の方は多かった。
今日から水筒を再開しようと持参をした。ここ数ヶ月ずっとコンビニでお弁当や飲み物を買っている。節約せねば、やりくりせねば、そう思っている時ほどメンタル面がよくなく大体コンビニでお昼を済ませてしまっている。
コンビニは凄く偉大。とても大助かりだけど、飲み物にお昼となると凄く高くつく。
せめて飲み物だけは持参し、少しづつお弁当も再開していきながら気持ちの余白と相談しつつやっていきたいなと思う。
年末からやらねばやらねばと思いつつ先延ばしにしてきた
イラストの仕事を請け負っている委託会社へのマイナンバーの情報を
簡易書留書類として送らねばいけず、迫りに迫りようやく提出でき
ひとまず安心できた。
現在はイラストレーターとしての活動はここ数年体調が不安定により
積極的に活動できていないけれど、今年から少しづつ再開していきたい。
厄祓いを年末にしてから気持ちの問題も多少あれど身体にまとわりつく重たい膜?みたいなものがなくなる感覚を出勤しお店についてから気がつく。
その膜なのか気持ち的なものかはさておき、視界が厄祓い前と比べ上や広く見れる気がしなくもない。あまりこんなことを思いすぎても胡散臭くなりそうで
脳内に広がるそれ以外の変わった点のイメージをさささと振り払い仕事についた。
帰りがけ「以前より視野が広くなってアイコンタクトやお客さんもいい感じに接客されてるんで、この調子で頑張りましょうね♪」と優しい社員さんからのお言葉を頂いた。
「ありがとうございます。頑張ります。(もしかして、これって厄祓いの厄を払ったから?それとも…)」と脳内でまた胡散臭い展開へ疑惑を広げるも妄想する自分の頬を平手打ちするイメージで妄想をやめた。
昔からの癖か特性かはわからないけど、一つの事象から複数へと話の展開?少しづつ数珠繋ぎの様に話が広がり、脳内スパーク(脳が活発になる)を繰り広げたりが止まらなくなる。
その為、人と対話している時、例えばメロンパンはどんなところが好き?がお題だとし
友達「周りが砂糖のカリッとした感じと中もっちり加減が好き」
わたしの脳内は「結論(砂糖ザリザリのもっちりしたところ)あれってなんでメロンパンってメロンの味しないのに名付けたんだろう、昔食べた丸々スーパーとメロンパンが凄く美味しくて、お母さんによく買い物の時買ってもらってたもん」
と、結論はあるのにそれまでの過程もすごく大切と考え、さまざまな記憶のドアや思いついた事に対して考え遠回りしながら論点からも遠ざかってしまうなんてことがよくあり
友達「・・・・?(つまりどういうこと?)」となってしまう。
今書いている日記もだんだんその流れになりうる感が凄く、この感じはおそらく
調べた限りではADHDの特性だと思っていて、15日の診察の問診の時にお話ししようと
思っている。