休日ひとやすみ日記

モノづくりや食べること、日常のあれこれ備忘録

1月14日(日)の日記

 

定期が無くなってからスイカにチャージし電車を乗りいきしている。

定期がない間チャージをまとめてどかっと入れとけばいいものの

 

ケチくさいのか、まとめてガッツリチャージはせず、チミチミ1000円づつ

チャージをしている。笑

 

どのみち使わねばいけないもののどうもいつもチャージ系は変に慎重になる。

ほんと謎、なぜなの、これってわたしだけなのかな、チミチミ系…。

 

朝体重を測ったら、今のアパレル派遣を初めて8ヶ月、3.4kg減っていた。

そういえば、恥ずかしい話デニムやパンツなどお店に並ぶLサイズがほとんど入らず

自分に大変絶望したのを覚えている。

 

病んでから3、4年。その間は本業である絵の仕事をしながら派遣を週4でしながら

二足の草鞋で取り組み、本業より副業で始めたはずの派遣が忙しくなり

 

「本当に本腰入れたい仕事は副業の派遣じゃないのに」と、複雑な気持ちや派遣で働く中でのスタッフ間も仲がよかった為、本業の独りで仕事をすることへの孤独感が居心地の良さでまぎれ、本来の目的を見失いそうになったりと

 

一体自分は何をどうしたいのか。そんなことの葛藤が日々あり、心が疲弊し

癒しはまさに食べること。それしかなかった。

 

食べることが救いになって依存するような時期があり、気づいたら口に物が入っている。

こうなると、体型に反映されるのも早かった。

 

着たい服というより着れるきやすい服、おしゃれは好きだけど

 

大体更衣室で半笑いになりながら半分穿けていない状態でズボンの試着を止めることが多い。

 

けど、アパレル派遣をし、以前の洋菓子屋派遣と違うところは荷受けの量やストック整理で立つ、かがむなどの体全体で動くような動作が多いところ。

 

始めたては裏方作業が基本になっていたためか、腰回りや太もも周りなど、気づいたら全体的にひと回り小さくなり、完敗だったパンツ系は今は穿けるのがうれしい。

 

年々体系の保持の難しさや、痩せにくさなど、体の変化にとほほとなる。

こればかりは仕方のないことなのかもしれないけれど悲しくなってくる。

 

休憩時間になりセブンイレブンへ歩く途中、後方からトタトタトタタと走るゾロゾロした感じの音が近づいてくる、走り去る人たちは計8人ぐらいだったかな

 

ランニングウエアとリュックを背負い、集団ランニングをしていた。

何かのサークルなのかな、背中のリュックのコンパクトさやそれぞれの個性あるランニングウエアとゆらゆら揺れるリュックにほっこりした。

 

年齢30代後半から40代、50代の方達そうに見えた。同じ目的があるからこそ頑張れる、それがどんなに心強くて確かな一歩になっていくのか。

 

そう、まさに、本業と派遣の葛藤していた洋菓子屋勤めの時。

悩むこと乗り越えていくこと、自分を売り出す営業や技術向上、絵を仕事にしていくこと、それ以前に一人で仕事をしていくことの難しさ、孤独さ。

 

自分と向き合い前を剥き続けるための工夫も、全て自分次第。

絶対条件で当たり前のこと。それが

 

派遣を始めて、同じ仕事のことで話せたり悩めたり、たわいもない話が出来るということ事。本業だけでは生計が立てられないと始めた派遣はいつしか心の支えになり

 

本業のつらさがまぎれ、日々支えてもらっている人たちのために頑張ろうと思えた。

 

それが次第に自分の気持ちの葛藤の要素になっていくこともわかっていた。

 

誰かの役に立つこと、本業でなかなか日の目を見れずにいるなら派遣だけでも

力になれるように、、、なんて、比重が傾き、情緒も不安定になって

 

気づいたら派遣の人たちと離れるのが辛くなるほどのところまで来て

「わたしは一体何がしたいんだろう」その瞬間、レジ打ち中に息が吸えなくなり

過呼吸になって救急車に運ばれた。

 

どちらの仕事も完璧にこなしたいと、ただちゃんと仕事をしたかった。それだけだった。

次第に自分の首をすごく絞めていたことも気づかずに。

 

心の拠り所があるというのは、心強くもあり、その反対も然りで

自分の弱さを知ったり、その苦手なことや辛いことへ蓋や見ないふりも出来てしまう自分が試される場所だなと思った。

 

心の拠り所は依存と構築の紙一重。支えられたままもたれかかることは依存に近く

ささえられた体勢をどうにか軸を定めて軸を保とうとすることを構築とするなら

 

軸を保ち、どうにかしようとすることは

自分の心の変化や気持ちに気づき、弱さを知った上でどうしていくのか、どうしていけたら変われるのかを考え

 

気づくことができてはじめて変化する道、自身を構築し、変化していく考えにたどり着くような気がする。

 

目的をもって走り去っていったあの人たちも、走ることでそれぞれに自分の必要とする未来があって、何か変わりたくて走っていたのかな。

 

色んな思い、それぞれにあるよね。