休日ひとやすみ日記

モノづくりや食べること、日常のあれこれ備忘録

2024年あけましておめでとうございます日記

無事2023年が終わった。まず、昨年は2、3年前も含め、すごく荒れ狂う感情の中を

もがきながら自分という人間のダメなところ、未熟なところ、色々見えてきては荒波の中息をしていたなと思う。

 

もがいたりあがいたりは生きていればこの先ずっと続いていくことだけど

すごく辛く苦しかったし、よく踏ん張ってきたなと思う。

 

昨年5月半ばから現在まで新しく就業した派遣先も、人に恵まれなんとか続けられている。

けれど、わたしは昔から物を無くしたり、作業を遂行する中でイレギュラーが発生してからの臨機応変な対応や

 

マルチタスクが苦手で、作業を同時進行すると、もう一つのことがおろそか、もしくは忘れる、など、働く中で心配要素が昔からあり、それは日常でも変わらずな人生をおくってきた。

 

「ただ要領が悪いだけ」そう思って生きてきたけど

 

日にひに仕事が忙しくなる度に今まで感じていた不安が大きく膨らんでいくことに

耐えられなくなり「一度ちゃんと心療内科ADHDの検査をしてもらおう」そう決意した。

 

度重なるミスに不甲斐なさや普通にできない自分に苛立ち辛くなることと

親切に教えてくれ一緒に働いている社員さんにこれ以上迷惑はかけたくない。

そう思い、12月28日の暮れに心療内科を受診した。

 

院はわりかし最近できた綺麗な内装ですごくクリーンだった。

待合室はしっとりとしたピアノの音楽が流れていて、すごく落ち着いたと同時に

28日の暮れでも待合室はいっぱいだったことに驚いた。

 

そうだ、わたしだけじゃない。いろいろな悩みを抱えて、不安をどうにか解消したい勇気ある人たちが自分以外にいて当然じゃないか。そう思った。

 

名前が呼ばれて診察室に入り先生とお話しする。今までのこと、これまでのこと、初診の30分、辛かったこと、困っていることなど、ゆっくり話した。

 

自分のことを話すのがあまり得意でないんだなと改めて考えながら話して思う。

まとまりの無い唐突な話し方をしてしまったなと俯きながら少し焦った。

 

けど先生はしっかり目を見て拙い言葉を汲み取りながら返答し話してくれた。

「お話を聞く限りですが、不注意型の特性が強く出てそうだなと思いまhした。」

と言ってくださった。「次回もしよけれれば、検査も含め薬の作用や詳しいお話を旦那さんにもお話しできたらなと思うので、一緒に来院できますか?」

 

と言われ。「やはりわたしはそうなのかもしれない」と、改めて気持ちをかためはじめている自分がいた。結果が出ていない状況ではあるものの少し気持ちが軽くなる感覚と、健常者では無くなるカウントダウンが1月15日の検査予約とともにはじまった。

 

この15日の検査の翌日はわたしの誕生日でもあり、生まれた日の前日に検査結果が出るのが、またなんとも言えない感覚で、少し気持ちがザワザワする。

 

どんな結果であれ、薄々自分はADHD発達障害があることを自覚しながら生きてきたから、検査の結果が出たところで「はいお当たり」となるわけだけど、このザワザワした感覚は、詳しく検査するのに必要なデータ(自分の詳細的な話)を提示すべく話さなければいけないこと。だったりもする。

 

過去の事、辛かったことや苦しかったことを思い出すと、切り替えがうまくできないくらい凹んだり暗くなるから、誰だってそうだろうけど、やはりしんどくなるなと思うからだ。あとは健常者でなくなることを意味するということ。これだと思う。

 

何度も同じことを言うけど、ADHDであろうと思って生きてきたものの、やはりその半分「認めたくない自分」も少なからずいるんだと、胸がキュッと締め付けられる感じがした。

 

けど受け入れながら前を向いて歩いていかないと、心がまた折れて立てないぐらいになってしまうから、しっかり1月検査をし、自分を受け入れ、殻を破り踏み出していかないと、やりたいことも達成したいこともできなくなっちゃうから

 

2024年色々気持ち新たに踏み込んでやっていこう。